喫茶店でコーヒーを飲めるまで~7つの国の物語~

 

世界の人々の生活に溶け込んでいるコーヒー文化。そんなコーヒー文化は各国でいったいいつどのように広まっていったのだろうか。
歴史が放つロマンスの香りを求めて、いざ7つの国の始まりを見ていこう。

知るも知らぬも、世はすべてこともなし。だが知ることで香りは深みを増し、あなたの生活をマイルドにすることでしょう。さあ、物語が始まります!!

 


1.イタリア

ヨーロッパへの伝播はイタリアからというのをご存じであろうか。エスプレッソで有名なこの街、ほとんどの人がコーヒーを1日に何度も飲んでいる。コーヒーを飲む行為は、国民の生活の一部となっていると言っても過言ではないだろう。
そんなイタリアにコーヒーが伝わった話は有名である。当時、異教徒の飲み物としてコーヒーは扱われたが、みんな誘惑に負けて飲んでいた。その流行を目にしたある謹厳なキリスト教徒が教皇に禁止してくれるようにお願いした。ときのクレメンス8世はそのお願いを受ける前に試しにコーヒーを飲んでみた。するとどうだろう。あまりに美味しすぎたその味を口にしたクレメンス8世は、

「悪魔の飲み物といわれるコーヒーが、かくも美味であるのはどういうわけか。このようなものを異教徒に独占させておくのはいかにももったいない。余は、コーヒーに洗礼を施し、キリスト教徒の飲み物たる洗礼を与えよう」

と仰り、コーヒーに洗礼を施したのだ!!
これで晴れてキリスト教徒たちはコーヒーが飲めるようになったと言われている。これが、イタリアコーヒー文化の始まりである。

 

また、1615年にはベネチアに伝わっていたとの記録もある。なお、コーヒーがヨーロッパに初めて上陸したのはベネチアである。そして現存する最古のカフェ、「カフェ・フローリアン」(1720年)が存在するのもベネチアである。美しいサンマルコ広場に開かれたそのカフェは、観光客もろとも幸せにする広大な美しさを持っております。ベネチア恐るべし、あっぱれです!!

それからイタリアには『ローマの休日』で有名なローマの「アンティコ・カフェ・グレコ」(1760年)も存在する。ヨーロッパのコーヒームーヴメントを生み出すにふさわしい、美しいカフェである。文化の最先端イタリアに憧れて、ゲーテ、アンデルセン、バイロン、スタンダールなど、名立たる作家がここを訪れたという。

今日、コーヒーの英語のスペルに「f」が重なるのは、イタリア語カフェからの派生によるものである。またイタリアはエスプレッソを生み出した国、功績は大きい。コーヒー文化を語るにおいて、やはりイタリアは通らざるを得ない道なのだ。

 

2.オーストリア

オーストリアといえばウィーン、ウィーンといえば「ウィンナコーヒー」。ウィーンで頼む場合は、生クリームたっぷりのグラスに入った「アインシュペナー」か、「カフェ・ミット・シュラーク」。その他にも、生卵の黄身を入れた「カイザー・メランジェ」、ラム酒を入れたら「フィアカー」、オレンジリキュールが入れば「マリア・テレジア」、そしてモーツァルト・リキュールが入ったら「カフェ・モーツァルト」など、名前からそそられる魅力的なコーヒーがたくさんある。

そんなオーストリア、”コーヒーの父” コルシツキーの物語が有名である。1683年、10万のトルコの大軍がウィーンを包囲したとき、オーストリア軍はわずか1万。そんなときに、貿易商会で通訳をしていたコルシツキーはトルコ語を話せるため、トルコ人に変装して大軍をくぐりぬけ、ポートランドの援軍を呼び、オーストリアの危機を救ったのである。そしてオーストリアの危機を救った功績をだしたコルシツキーには当然、戦利品の一部が与えられた。その戦利品こそが、誰もまだその価値を知らなかった大量のコーヒー豆である。彼はその豆を使って、「青い瓶」というコーヒーハウスを開き、ウィーンの人々にコーヒーを飲むことを教えた。このウィーンで最初のカフェと言われている「青い瓶」がきっかけで、ウィーン風のコーヒー文化は始まったのである。その栄誉が讃えられ、コルシツキー通りとファフォリーテン通りの角の建物の外壁にコルシツキーの像がつくられている。

 

現在ウィーンには、1700軒のカフェがあると言われている。カフェは国民たちの「サードプレイス」として役割を果たし、人々の生活を彩る。本を読んだり、作業をしたり、談笑をしたりするその場所には、カフェがあるのだ。お気に入りの場所で飲む一杯のコーヒーは、きっと人々のゆとりを支えるためのものとなっているでしょう。

 

3.イギリス

1650年、オックスフォードにイギリスで最初のコーヒーハウス「ヤコブの店」は開かれた。それから文化は急激に浸透し、2年後にはロンドンにも作られ、店舗数は2000以上と瞬く間に増えていった。イギリスのコーヒー文化がほかの国とちがうのは、コーヒーハウスが議論や社交、ビジネスなどの場所として展開していったところだろう。それゆえに、コーヒーハウスは「ペニー大学」とも言われていた。入場料1ペニー、コーヒーは1ペニーから2ペンスを払えば、学者や作家、商人や僧侶などあらゆる階層の人たちの話が聞けたことが由来である。イギリスのコーヒーハウスでは、理性や理屈が重んじられた上で意見交換をおこなっていたため、ときに商談、ときに議論をする場所であった。新聞や雑誌を読みながら、聞き耳をたてるだけで自分の知恵や情報が増えていくならば、大学と呼ばれているのにも納得がいく。

ちなみに豆知識として現在も残るチップという制度、この語源にはコーヒーハウスが絡んでいる。混み合うコーヒーハウスの中で優先的にサービスを受けるためには、店内にある箱に「心づけ」としてコインをいれることがあった。そしてこの箱には「to insure promptness(迅速を保証するために)」と書かれていた。お気づきの方もいらっしゃるでしょう、この単語の頭文字を合わせてみると、「tip(チップ、心づけ)」となる。

 

またコーヒーが世間を騒がした話もおもしろい。当時のコーヒーハウスは女人禁制であったため、夫たちが家庭をほっておいて入りびたるコーヒーハウスに怒りを感じた主婦たちが閉鎖を求める請願書を1674年に市長に提出した。

男たちがコーヒーハウスに入り浸ることによって夫婦関係に悪影響が及ぶ

という内容のものを市中に配布した女性陣であったが、それに対して男性陣は、

コーヒーに対する不当な非難から、その液体の効能と美徳を擁護する

といった返答書を貼りだしたのである。こんな騒動も起きるほどにコーヒーが親しまれていたことを、コーヒーが当たり前になった現代で知るものは少ないだろう。結果的に女性もコーヒーハウスに入れるようになっていく。

また国王が、コーヒーハウスで起こる自由な討論や情報交換が政治的な活動につながることを恐れ、禁止令をだしたこともあった。これはやがて撤回される。しかし、コーヒーの初期衝動おそるべしである。

 

情報センターとしての役割を果たしていたイギリスのコーヒーハウス、ビジネスマンたちによってのちに世界初の保険会社「ロイズ保険組合」を生み出してしまう。金融の中心であったイギリスらしいコーヒーハウスの発展の文化は、ほかの国と比べて変わっていておもしろい。紅茶の印象が強いイギリスだが、訪れた際にはやはりコーヒーを飲みたい。

 

4.フランス

フランスといえばどんなことを思い出しますか?
ファッション、アート、美術館、エッフェル塔など、いろんなことが想像できます。その中でも、コーヒーの歴史に関わる文化として挙げられるは、貴族社会です。トルコに仏大使として遣わされたソマリン・アガが、1669年に着任し、ルイ14世にコーヒーを淹れたことが始まりと言われております。コーヒーが持つその香りの素晴らしさが、フランスの宮廷から上流社会へまたたく間に広まったと言われております。「ワインとは違う魅惑的な飲み物」として話題を集めました。こうしてフランスはトルコからコーヒーの輸入を始めます。まさに「コーヒー外交」、歴史的な成功です!!

 

さて、こうしてフランスにコーヒーがもたらされましたが、フランス最初のコーヒーハウスはいったいどこから始まったのでしょう。それはもちろん世界から愛される街、パリです!!
さて、パリの街にコーヒーハウスを開いたのは、アルメニア人のパスカルという男。彼はサンジェルマンの縁日のときに、テント掛けの店を出し、トルコ人の少年たちに街を歩かせたという。そして歩かせた少年たちはみな「カフェ!カフェ!(コーヒーの意)」と叫びながら売っていた。実はこのおかげで、パリの人々は、カフェ=コーヒーを売り飲ませる店という認識が強まったのである。その後、セーヌ右岸に小さなカフェを開いたが、たいした成功を収めなかった。

 

そんなパスカルの失敗から学び新しく建てられたのが、上品で豪華なインテリアの「カフェ・プロコープ」である。1686年のことだ。もとはレモネード店である。ここのカフェは非常に著名な役者や作家、音楽家、学者たちが集まった。ルソーであったり、バルザックであったり、モジリアニ、藤田嗣治などが常連として来ていた、ちなみにあのナポレオン・ボナパルトも....おそろしいメンツである(笑)

現在、フランスに存在する最古のカフェがここである。ちなみに、ベンジャミン・フランクリンが、アメリカ独立宣言の草案を書いた場所はここである。もうとてつもなく凄すぎる!!ぜひ一度訪れたい場所だ!!

 

それから、素晴らしいカフェたちがどんどんパリの街に現れ始めた。フランスのカフェの特徴としては、17世紀後半から18世紀初期のカフェはまさにコーヒーハウスであったが、それ以降は長時間過ごす客のためにもフードメニューが充実していったところだろう。魅惑的で世界から視線を浴びるパリの街、支えているのはカフェだったりして。

 

5.ドイツ

ドイツにコーヒーが伝わったのは、1670年代(さすがヨーロッパ!!コーヒーの普及が早い!!)、1679年にイギリス人がハンブルクにコーヒーハウスを開店した。それから各都市でコーヒーハウスが開かれるようになる。イギリスほどの流行はなかったが、あの有名な『コーヒー・カンタータ』がその時代のことを語る。曲を作ったのは、皆さまご存じのヨハン・セバスティアン・バッハ。内容は、コーヒー好きの娘の話。コーヒーのとりこになってしまった娘にたいして、父親がコーヒーをやめさせようとする話である。

「ああなんて甘いコーヒーの味わい、1000回のキスよりも甘く、マスカット酒よりも柔らかな舌触り、もうコーヒーなしではだめ」

なんて、歌っております(笑)
どうやらしっかりと人々に浸透していたようですね!

が、しかし、18世紀半ばになると、フリードリッヒ大王が、反コーヒーキャンペーンをやり始めます(笑)、動機としてはコーヒー豆のために貿易収支が赤字になっていたからですね。結局、このキャンペーンはうまくいかなかったのですが、そのあとにまたもフリードリッヒ大王はコーヒー焙煎を許可制にしたりして、コーヒー文化に追い打ちをかけた。許可なく焙煎したものはお金を取られるため、みんなコーヒーを耐え忍び、代用コーヒーで気分を紛らわしていたという。

苦労の多かったドイツですが、今ではコーヒーライフを充実している。『コーヒー・カンタータ』のように、コーヒーとドイツの組み合わせで酔いたいものですね!!

 

6.アメリカ

アメリカに初めてコーヒーを伝えたのは、ジョージタウンを建設したジョン・スミス船長だと言われている。これまたトルコ絡みでございまして、彼がトルコに滞在していたときコーヒーが出会ったのがきっかけで、アメリカに渡るときにコーヒーを持ち込んだと言われております。ニューヨークがその昔、ニューアムステルダムと呼ばれた時代(オランダ領だった)でしたので、オランダから来た可能性もありますが、史実としては残っておりません。ニューヨークでの最も古いコーヒーに関する古い記述は、1668年のものです。が、しかし、この時点ではそんなにコーヒーは特別視されておりませんでした。

きっかけとなったのは、「ボストン茶会事件」。このときのアメリカでは茶に対する嗜好が強まっていたのに、イギリスが植民地に持ち込む輸入品に重税を課したため、ボストン市民たちは「ふざけんじぇねえ!!」とばかりに反発し、英国船に乗り込み、茶が入っている箱をどんどん海に放り投げたあの事件です。この事件を境に、アメリカの嗜好が茶からコーヒーへ移り変わっていったのでした。ちなみに、居酒屋兼コーヒーハウスである「グリーン・ドラゴン」というボストンのお店は、茶会事件の首謀者など愛国者の溜まり場となっており、「独立戦争の本部」と呼ばれていました。

 

その後、独立したアメリカ。当時、まだまだ建国途上の国である。そんな彼らがマナーを気にして飲む茶より、カップにさっと入れて飲めるコーヒーを飲むようになったのは自然の成り行きかもしれません。そして時代が進むにつれて、国民的な飲み物にまでなってしまい、人が訪ねてくるとコーヒーを勧めるというライフスタイルまで出来上がっていた。そんな彼らは家庭でも職場でも、浅炒りの豆を使い、いつでも飲めるように大量に作っておくスタイルであった。これが、私たちが今日目にする「アメリカン」と呼ばれるコーヒーの始まりである。お湯で割っているわけではなく、浅炒りなので色が薄いだけである。

アメリカといえば、アポロ13号のエピソード。1970年、打ち上げ後、事故に見舞われ帰還を余儀なくされた船員たち。そんな彼らの耳に届いた激励のメッセージは、

「がんばれ!キミたちは今、熱いコーヒーへの道を歩いているんだ」

というものであった。彼らのコーヒーに対するイメージが、マイホームになっていたと思われる言葉です。非常に素敵なエピソードです。アメリカのコーヒーライフも楽しそうですね。住んでみたらより一層感じることでしょう。

 

7.日本

さあ、最後に私たちの国ではいったいどうだったのでしょうか。

日本に初めてコーヒーが伝えられたのは、元禄時代ともそれ以前とも言われております。当時、唯一外国へ開かれていた場所、長崎出島の商館に持ち込まれたコーヒーは、限られた人だけが飲んでいたものだったようです。蘭通訳、一部の役人、商人、遊女など。伝聞を記したものにはなるが、日本の文献で最も古いコーヒーに関する記述は、

「阿蘭陀の常に服するコッヒィというもの 形豆の如くなれども 実は木の実なり」

というものだそうです。「コッヒィ」なんてめちゃくちゃ可愛いですよね。ちなみに漢字にすると、「古闘比伊」です。なんだか日本中探したらそういう名前の喫茶店がありそうな感じしますね(笑)

では実際に飲んだ記述はどうかというと、1804年、田沼意次時代の幕臣、大田蜀山人が書いた、

「紅毛船にて『カウヒイ』というものをすすむ 豆を黒く炒りて 粉にし 白糖を和したるものなり 焦げくさくして 味ふるに堪ず」

というものである。どうやらあまり美味しくなかったようだ。しかしこれまた「カウヒイ」とは可愛い。さて、そんなウブな記述が残る日本で、初めて喫茶店がオープンしたのは1888年(明治21年)です。東京の下谷黒門町に、「可否茶館」は開店しました。厳密にはコーヒーを提供するお店はありましたが、コーヒーを主体とするお店はなかった為、このお店が日本で最初のお店と言われていますね。

その後、今も銀座にある「カフェ・パウリスタ」などの有名喫茶店が街に現れ始め、ロンドンやパリのように学者や文学者や、芸術家など様々な人たちが議論をする社交場となっていった。

日本にコーヒーがもたらされたのには、イギリスやオランダの影響が大きいです。私たちが日常で目にする「珈琲」という漢字。これを最初に充てたのは、津山藩医でシーボルトとも交遊のあった蘭学者の宇田川榕菴である。「珈」は髪に挿す「花かんざし」、「琲」は「かんざしの玉をつなぐ紐」の意であり、コーヒーノキの赤い実のついた枝の様子から発想を得て、この漢字が充てられたという。

 

今日の日本独自のカフェ文化。つまり今もなおブームの続く純喫茶の文化には、ほかの国には見られない日本独自のこだわりが輝いている。世界のカフェには負けないほどの自由度と秘密基地感をたっぷりだして、街の人々のライフスタイルを支えている。最近、サードウェーブ系の喫茶店も増えてきており、ますますコーヒーへ対する認識が上がっていく現代、これからの発展が本当に楽しみです。

 


 

以上、7つの国に見られるコーヒーの歴史でした。

現代の文化として形を残しているところもあれば、時代の流れによって無くなったものもあります。しかし共通しているのは、コーヒーに魅了された人たちの素晴らしい行動から、今日のコーヒー文化があるということです。

この記事を参考に、たまには昔の人たちがどんな気持ちで喫茶店やカフェを利用していたのか、想像しながら飲むのもいいかもしれませんね(笑)

 

とにもかくにも、ENJOY COFFEE LIFE!!

朝方のコーヒーから仕事帰りの一杯まで、リラックスして飲みましょう!!